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連載 『スキです、西郷どん!!』

原口泉先生 ロングインタビュー(前編)

2018年1月よりスタートする大河ドラマ「西郷どん!」。
今なお県民から愛される偉人・西郷隆盛が主人公とあって、鹿児島が熱く盛り上がっています!
今回は「西郷どん!」の時代考証をしている原口泉先生にスペシャルインタビューを敢行!
西郷さんのこと、明治維新のこと、いろいろ教えてもらいました。

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原口 泉 (はらぐち いずみ)

■生年月日  194724

■出身地   鹿児島市

■略歴    米国ネブラスカ州立大学付属ハイスクールと鹿児島県立甲南高等学校卒業、東京大学文学部国史学科卒業。東京大学大学院博士課程単位取得。鹿児島大学教授時代には生涯学習教育研究センター長を兼務。専門は日本近世・近代史。特に薩摩藩の歴史。国内だけでなく、イギリス・フランス・イタリア・アメリカ・ブラジル等で講演。鹿児島大学・鹿児島女子短期大学・琉球大学・沖縄国際大学・沖縄大学・長崎大学・別府大学・同志社大学・北海道教育大学・サンカルロス大学・シンガポール大学・サンノゼ州立大学・スタンフォード大学等で講義・講演。KKBスーパーJチャンネル維新人物伝レギュラー(20167月より毎週火曜日放送)KKBかごとき「ゆる旅」毎月レギュラー出演

■紹介    志學館大学人間関係学部教授・鹿児島県立図書館長のほか、鹿児島大学名誉教授、農学部客員教授等を兼務。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「琉球の風」「篤姫」、NHK朝の連続小説「あさが来た」の時代考証も担当。2018年の大河ドラマ「西郷どん」の時代考証中。近著に「西郷どんと呼ばれた男」(NHK出版)「西郷家の人々」(KADOKAWA)「西郷隆盛53の謎」(海竜社)など多数。

■趣味    史跡巡見。歴史散歩の旅。

■信条    生涯現役

 

 

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<鹿児島市城山の西郷隆盛銅像>

ー改めて西郷隆盛という人は、どんな人なんでしょうか。

「明治維新」という大きな大きな社会変革を成し遂げたにも関わらず、今でも鹿児島では「西郷さぁ」とか「西郷(せご)どん」といった愛称で呼ばれているように、こんなにも庶民からも慕われている歴史的偉人ってのは、西郷さんをおいて他にいないと思いますね。

明治維新を推進する「薩長同盟」、徳川幕府から政権を朝廷に奪い返した「大政奉還」、新政府を樹立した「王政復古」、それに反対する旧幕勢力の掃討のための「戊辰戦争」、そして戊辰戦争最大の山場であった「江戸城無血開城」。いずれの場面にあっても西郷さんが大きな役割を果たしています。

明治維新は「革命」です。その中でも西郷さんの大きな功績として挙げられるのが明治4(1871)の「廃藩置県」。200万人の武士が1日にして失職(特権を失う)という大きな大きな革命が、西郷主導によりほとんど血を流すことなく遂行された、これは西郷隆盛の手腕、そして人柄によるところが大きかったんじゃないかな。

 

ー西郷さんの人柄が伺えるエピソードはありますか?

敵味方関わらず、西郷さんを慕う人は多くいました。新政府軍と旧幕府側が争った「戊辰戦争」において、最後まで旧幕府側として勇敢に戦っていたのが庄内藩(編集部注・現在の山形県を拠点とした藩)でした。降伏後、厳罰を覚悟していたのに、西郷の計らいで非常にゆるやかな処罰で済みました。そのことに感激した庄内藩の藩主・士族たちは、西郷が下野した後も鹿児島まで足を運んで教えを請うたりもしているんです。それどころか、後の西南戦争に従軍し西郷さんと共に戦い、戦死する者もいたほどです。

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<西南戦争の激しい攻防の舞台となった西郷さん設立の私学校跡には、今も生々しい銃弾の跡が多数みられる>

西南戦争に敗れた西郷さんは逆賊としての汚名を着せられるわけですが、明治22(1889)明治憲法(大日本帝国憲法)の発布に際した大赦により賊名を除かれ、正三位(しょうさんみ)という位に戻されるや否や、庄内の人たちは西郷さんが残した言葉をまとめた「南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)」を刊行し、全国にそれを配布して回ったんですよ。庄内の人が。これはもうすごいことでしょう。

 

ー上野の西郷隆盛像も、庄内の人がきっかけになって作られたとききました。

庄内藩主だった、酒井忠篤(ただずみ)公です。戊辰戦争後薩摩を訪れて西郷の元で学び、勧められてドイツに留学して世界を学んだ人物です。彼のほか有志が発起人となって建てられた上野の西郷銅像、明治31(1898)の除幕式の際にイト夫人が「宿んしはこげんお人じゃなかったこてえ!(うちの人はこんな人ではなかったのに!)」と言ったというのは有名な話ですよね。あれは「似ていない」というよりは「うちの人はみなさんの前でこんなざっとした格好をする人じゃなかったですよ」という意味だったと伝えられています。

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<上野の西郷隆盛銅像>

赦されたとはいえ、賊軍の大将として戦った人が、軍服姿でいるのは穏やかでない…であるならば平和にウサギ狩りしている姿ならばよかろう、という作り手側の事情もあったようですが、今となっては西郷さんの庶民的な人気をよく現しているのではないかなと思います。

 

ー日本だけでなく、世界でも西郷さんは話題ですね

アメリカ・ハリウッドで公開された「ラストサムライ」という映画で渡辺謙さんが演じた侍は、西郷さんをモデルにしたもので、大変な人気を博しました。「THE LAST SAMURAI」というノンフィクションの西郷伝記もマーク・ラヴィーナさん(エモーリ大学教授)が書かれています。

ところで西郷さんは今、道徳の本にも載っているんですよ!(編集部注・平成30年度 教育出版「小学どうどく はばたこう明日へ」3年・6年に掲載)。これもすごいことですよね。

 

ー年齢・国籍を問わず、学ぶことが多いということですね

今度の大河ドラマでは、そういった偉大な西郷さんを、主君・島津斉彬公との関係を主軸にして描かれています。斉彬公をお天道様のように崇め、斉彬公への愛を貫いた西郷隆盛というのが、林真理子先生の原作、中園ミホ先生の脚本の主軸となっていると思います。

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<照国神社に隣接する「探勝園」にある、島津斉彬公の銅像>

偉人としての西郷がある一方で、庶民に慕われた実像を等身大に描いていこうということで、西郷さんの家族関係にもスポットが当たります。貧乏な大家族の中で、幼い頃から母親の愛情を受けた西郷さんが長男として家族から慕われるという面なども描かれるはずです。

西郷さんの座右の銘として有名な「敬天愛人」は文久2(1862)、島津久光公の怒りにふれ、沖永良部島に流されていた時に確立したといわれています。徹底して自分に打ち勝ち、人のためにやるという「克己」「利他」というのは、たしかに沖永良部での2年近くに及ぶ座敷牢での逆境を経たことで身につけられたことだと思いますが、人を愛する心を身につけたのは、母親・満佐(まさ)さんの子育てのおかげだったんじゃないかなと思いますね。

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<鹿児島市加冶屋町・西郷隆盛生誕の地>

 

ー兄弟関係の描かれ方にも注目です

兄である隆盛のことを尊敬していた15歳下の従道を錦戸亮さんが演じるということで、非常に期待しています。明治6(1873)、征韓論をめぐって明治政府と対立した隆盛が下野する際、諸外国との関係対応に危うい時期だからということで政府に残った、残らざるを得なかった従道ですが、明治10(1877)に勃発した西南戦争で、従兄弟の大山巌と共に、隆盛と戦うことになってしまうのです。

従道自身が鹿児島に入って戦うことはありませんでしたが、延岡にいる自分の元に、甥にあたる隆盛の長男・菊次郎が右足を失い投降してきたり、末の弟・小兵衛を高瀬(現在の熊本県玉名)の戦いで失ったり、そして隆盛も城山で亡くなるわけですから。西郷家にとって大変にむごい戦いであったわけです。

 

ーーーインタビュー後編へ続く

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