蒲生観光交流センター

蒲生郷散策マップ〜観光スポットのご案内〜


※散策マップ中の各観光施設や史跡は、下に詳しく解説しています。また、マップ中の番号と解説の番号は連動しています。

蒲生八幡神社
    かもうはちまんじんじゃ

【1】蒲生八幡神社

 1123年(保安4年)に、蒲生氏の始祖・蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が創建した由緒正しい神社で、商工・学問・芸術・安産の神としても親しまれています。日本一の巨樹・蒲生の大クスが本殿横に堂々とそびえ、多くの観光客で賑わいます。国宝として銅鏡(国指定重要文化財)が保存されています。

蒲生の大クス
    かもうのおおくす

 ◆ 蒲生の大クス

 蒲生八幡神社の境内にそびえ立つ、高さ約30m、根回り33.57m、目通り幹囲み24.22mの大クス。蒲生八幡神社が建立された1123年(保安4年)には、すでに巨樹であったという記録があることから考えても、推定樹齢は1500年を超えると言われています。昭和63年に環境庁が実施した巨樹・巨木林調査で日本一の巨樹と認定されました。最近はパワースポットとしても人気で、若い女性を中心に見学に訪れます。

戦没記念碑群 戦没記念碑群
    せんぼつしゃきねんひぐん

【2】戦没者記念碑群

 関ヶ原の合戦より始まり、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争までの英霊を讃える記念碑です。国家の発展を願い戦火に散った蒲生の有志の人々の参戦記念と、御霊を慰める目的で建立されました。

蒲生ふるさと交流館
    かもうふるさとこうりゅうかん

【3】蒲生ふるさと交流館

 平成23年に旧蒲生保育所を必要最小限に改築し、地域の交流拠点の場としてオープンしました。 館内は、「交流室」「展示室」「資料室」「廊下ギャラリー」に分かれており、入場無料です。
 誰でも利用できる多目的スペース「交流室」では、コンサートや各種講座などが催されており、有料で団体による占用利用もできます。また、絵本コーナーでは家庭で読まれなくなった絵本を集め自由に読むスペースや蒲生で行われている国際交流の展示コーナーがあります。
 「展示室」では、姶良市蒲生町上久徳出身で、富山県南砺市井波(旧井波町)を拠点に活躍した彫刻家・板橋一歩さん(本名・小山田政義、1911〜1993年)の作品を収蔵し、その一部を常設展示しています。
 「廊下ギャラリー」では、絵や写真などを展示し、個展などの開催も可能です。  「ふるさと資料室」では、地域の昔から使われてきた農機具などをアレンジして展示しています。

有村邸の武家門
    ありむらていのぶけもん

【4】有村邸の武家門

 1816年に建造された、100石以上の形式の門です。蒲生に現存する武家門では最古のものとなっています。

蒲生御仮屋門
    かもうおかりやもん

【5】蒲生御仮屋門

 江戸時代の蒲生地頭仮屋の正門で、1826年に再建されました。蒲生に現存する武家門としては2番目に古く、藩主島津斉彬も蒲生を巡見の折にこの門をくぐっています。
 親柱の前方の腕木より後方の腕木の方が長いという,現存する控柱付腕木門の中では最も新しい構造です。また,規模の大きな門を建てるための技術の進歩の過程をたどることができることからも貴重であると言われています。樹齢約400年とされる市天然記念物の御仮屋イヌマキ(一ツ葉)は、かつて御仮屋門の表庭に植えられていました。
 2011年(平成23年)4月に県指定重要文化財(建造物)に指定されました。

武家屋敷通り
    ぶけやしきどおり

【6】武家屋敷通り

 江戸時代に薩摩藩が作った麓とよばれる武家集落のひとつで、御仮屋門を中心に9つの馬場(通り)と3つの小路からなり、数多くの武家門と石がきが残っています。旧蒲生町がまち並み保存条例を制定した当時、モデルとして建て直した武家門も見られます。築120年の古民家カフェ&レストランらびゅーも、この通りにあります。
※民地のため敷地へは入れませんのでご注意ください。

蒲生殖産
    かもうしょくさん

【7】蒲生殖産

 江戸時代の末期から林業による殖産を行い、教育や町づくりなどに多大な貢献をした蒲生士族共有社の門が今でも残っています。蒲生士族共有社は太平洋戦争後に改組され、現在の蒲生殖産興業株式会社となりました。

蒲生どん墓 蒲生どん墓
    かもうどんばか

【8】蒲生どん墓

 蒲生どん墓は、鎌倉時代末期から室町時代中期に及ぶ蒲生氏の歴代当主とその一族の墓で、総数31基も林立する五輪の塔です。最大のものは第8代の当主宗清(1332年没)の墓石で、高さ2.02メートルもあります。前列6基は歴代当主のもので、宗清から第13代の忠清(1451年没)まで約120年間、ほとんど形式を変えることなく五輪塔が建立されているところを見ると、蒲生氏はその激動の時代において、相当な安定政権を築いていたものと推察されます。

蒲生和紙工房
    かもうわしこうぼう

【9】蒲生和紙工房

 江戸時代、薩摩藩が蒲生の風土が豊かな水や原料に恵まれていたことを利用し、武士の副業として和紙漉きを奨励しました。全盛期には約300人の手漉き和紙職人がいたとされますが、その後、故・野村正二さんの手により、その伝統的製法が守られ、現在は小倉正裕さん一人が受け継いでいます。(鹿児島県伝統的工芸品指定)

竜ヶ城磨崖梵字群
    りゅうがじょうまがいいっせんぼんじぶっせき

【10】竜ヶ城磨崖一千梵字仏蹟

 蒲生氏の本城であった竜ヶ城(城山)の岸壁に約120メートルにわたって刻まれています。古石塔研究の権威・黒田清光氏の調査によれば、梵字の数は1,700にも及び、1か所にまとめられたものとしては日本最多の磨崖梵字であるといわれます。市指定史跡になっています。

蒲生城址(竜ヶ城)蒲生城址(竜ヶ城)
    かもうじょうあと

【11】蒲生城跡(竜ヶ城)

 蒲生城は蒲生氏の居城で標高160メートルの竜ヶ山にあり、竜が伏したような地形をしていたことから「竜ヶ城」とも呼ばれています。 保安年間(1120〜24)、蒲生舜清によって築かれた平山城で、建昌、帖佐、北村、吉田、岩剣、山田、松坂などの支城を備えた県下有数の山城でした。18代範清まで蒲生氏が治めましたが、1557年に島津貴久に攻められ焼失しました。郭、空堀、土塁、門などが残されています。現在は城山公園として整備され、3月下旬〜4月上旬には桜200本が咲く、花見の名所にもなっています。 (市指定史跡)

掛橋坂
    かけはしざか

【12】掛橋坂

 掛橋坂は、蒲生町北と西浦を結ぶ峠に見つかった石畳道。古くは道幅が狭く危険な板敷の道=「桟(かけはし)」で、地名「掛橋」の由来となった可能性があります。現在の県道川内・加治木線が明治時代に開通する前の旧道で、江戸時代には藺牟田・祁答院方面と蒲生を結ぶ地方街道として利用されていたと考えられます。現在は661メートルが当時の姿を残しています。
 掛橋坂が開通した時期ははっきりしませんが、道筋には寛政8年(1796)の庚申供養碑や明和9年(1772)の馬頭観音碑があることから、遅くともこの頃までには石畳道が完成していたと考えられます。また、石畳や石段の造り方が、大口筋白銀坂・龍門司坂(国史跡)に共通していることも、この道が江戸時代に整備された街道であることを示しています。2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」のロケ地として一躍脚光を浴びました。(県指定史跡)